キンモクセイがかおる頃、大和路を歩きました。 どの仏像にも異なった味がありました。 とくに、伝え聞いた「秋篠寺の伎芸天(芸道の仏像)」、その艶やかさにあこがれていたのです。 本堂に一歩踏み入ると、本堂の中は暗いのです。 目が慣れて、本尊薬師如来、両脇の日光、月光、両菩薩にちょっと参り、すぐに伎芸天の前に立つと、真黒です。 真黒の顔です。 顔を右に傾げ、胸を右へ傾け、腰から下は左へ・・・つまり、腰をひねっているように見えました。この腰のひねりが重要で、そこから色気が漂って来るのでしょう・・・。 現代の女性でも、甘えてものを言う時、からだを傾け、腰をひねります。仏像も人も人形も、皆おなじです。色気を漂わせる姿の原型なのでしょうか。 秋篠寺の仏像の配置からいえば、伎芸天と帝釈天は対をなしているように思われます。 帝釈天は肉づきよく、ずっしりと直立してその立姿は立派です。 それにくらべると伎芸天は胸薄く、肥ってない。それなのに、帝釈天が忘れられ顧みられないのはなぜでしょう。 それは、帝釈天がからだを傾けていないから・・・そして、腰をひねっていないからでしょう。 そのために、なまめかしさがないのです。 伎芸天を仰ぎ見ると、半眼にひらいた目は、何かを語りかけそうな格好のいい受口で、本当に生身の女性を感じさせます。東洋的人間味をたたえた鼻、そして、あごがまたいいのです。ほんとうにいい顔立ちで、いつの間にか私は、頭を下げていました。 仏様と言うより「東洋のミロのヴィーナス」とはよく言ったものです。この寺の住職さんは、「私のところのヴィーナス」と言うそうです。 この頃のようにせち辛い毎日、現代女性の美は般若型にあるという人がいますが、私は、伎芸天のような、豊かでふくよかなほほと、あのやさしい目が好きです。煩悩も愚痴も、そうしたものをふくめた魂の呼びかけみたいなものがその中に生きていると思うのです。 暗い木立の中に、川田順の石碑を見ました。 諸もろのみ仏の中の伎芸天 何のえにしぞわれを見たまふ 「奈良に古き仏達の諸もろいますなかに、この伎芸天は、われを見そなわす。何の縁あって相見つめ合う。」 それは人間を見たもう仏です。私も何の縁か、あいまみえる事ができて幸せでした。 これから人の心に幸せを感じさせ、何かを語り、心楽しませる人形が出来たらと欲深くも思いつつ、本堂で伎芸天のお守りを買いました。芸道の上達を願い、見守ってもらいたかったからです。 その帰り、岩国で、全国各地に散らばっている武将の武具甲冑や刀剣を集めた「西村博物館」に行く途中、錦帯橋を渡ろうとすると、橋の下の河原で輪になって踊っている一群の中に、朱の色のサリーをまとい合掌する印度の女性を見たのです。 その姿はあまりにも美しく、とくにサリーに魅かれ、お願いして前後をよく見させてもらいました。言葉はわからずとも通じるものがあったのでしょう。 サリーは一枚の布を腰から胸、胸から肩にかけるのです。上流になるにつれ金糸銀糸で織ってあります。 無我で舞い、遙か遠い故郷に思いを走らせている女性と秋篠寺の伎芸天を重ね、その姿を人形の美の中に摂取できたらと思い、そして彫ったのが「走思」と題した作品で、朱のサリーをまとっています。