| 博多人形の由来をちょっとお話ししましょう。
あの優雅な人形も、元をただせば瓦を焼く窯から生まれたものです。 黒田長政が筑前に入国した時に連れて来た瓦師は博多瓦町に住んで、その子孫の正木宗七が余技に床置物を作ったのが始まりといわれています。 人形師の中でひときわ光を放った小島与一師の弟子が、私の夫長ニ郎で、十五才で学校を出るとすぐ小島の門をたたいたほどの人形好きでした。 美人ものに一番脂ののり切った頃の作品で、木彫式の人形「灯影」はえもんが少なく、彫浅く、木彫を思わせるまろやかな味が大ヒットした時代もありました。 二人の子供にも恵まれ幸せでしたが、あの恐ろしい戦争が始まって夫は出征し、福岡の方の家は焼かれ、命からがら相知町に疎開しました。 戦は終わって夫は帰って来ましたが、元来弱い体質に苦労が重なって病身となりました。 親しかった主治医に、不治の病と秘かに言われた後は涙が頬を伝う毎日でした。 三ヶ月と言われた命でしたが、寝たり起きたりで四年半生きてくれました。 看病と両親、子供、弟子職人と、一家を支えるには私が弱音を上げずに頑張らなくてはいけません。 夫の出征中や病気の時は、夫の原型に彩色して仕上げていましたが、初めて自分の人形を一心込めて作り上げ、「一席」を受賞しました。 主人は寝ながらあかず眺め、病人とは思えない程に瞳をかがやかせ「これでやっと一人前の人形師になれた。食って行ける見通しがついたね。安心したよ。」とよろこんでくれて、その後眠るが如く清らかに他界致しました。 私は人形づくりに没頭することで、心にあいた空洞を必死に埋めました。 正真正銘の四十の手習いでしたが、結婚後助手であり万年弟子でもありましたから、少し割り引く必要があるかもしれません。 主人からは本来美人人形を受け継ぎました。 ところが、ある日ふと見た絵、「百萬」の能姿はあふれる幽玄の極みをつくした抒情的な姿でした。 その姿に魅せられ、能の舞いも面も見たことがないのに、その姿を彫って、まぐれか知事賞を受賞しました。 ところが小島師が「井上、能もんばうやる人形屋が少なか。やってんやい。」と言われ、五流能や住吉の能、と切符をくださるのです。 特に能・狂言の世界は学べば学ぶほど美人物とは異なり、約束事が多く大変難しく底知れず深いのです。 それだけに魅力を感じたのかもしれません。 面は老の悲しみ、花の恥らい、よろこびと表現します。 演者は自分の工夫、自分の演出というものをどこに生かしているのでしょう。 それは面を選択した時にすでに定まっています。 面をいかに活かすか、そこに演者の工夫と伎倆が求められるのです。 四十八年頃、苦難の日々をやっと乗り越えてどっと疲れが出たのか、三ヶ月程入院しました。 人間誰しも一度は迎える老と死を考えて、闘病中の自分の心境を作品に表現し、卒塔婆小町をつくりましたところ、内閣大臣賞を受賞しました。 病気あがりで期待していなかっただけにうれしく、夫も草葉の陰でよろこんでくれたと思います。 年をとっても昔の面影を残し、静の中に才知にたけた美しい面は、大変むつかしゅうございました。 |
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