わたしは、相知町の片田舎に産ぶ声を上げました。
七人兄妹のまん中で、父母の愛は私にまではとどきませんでした。ひがみかもしれません。 
九十一才でこの世を去った実母の最後に言った言葉に「どの子も同じように可愛かった。」と聞き泣きました。 
唐津に住んでいた伯母は子供が無く、私を可愛がってくれるので井上家の養女になって、本当に唐津では幸せいっぱいでしたが、その幸せは、長くは続きませんでした。小学校五年生の時、養父が病気で倒れ、助産婦だった母は、外に出て働き、一家を支えてくれたのです。
今言うカギっ子です。だんだん貧乏になり、海辺で木っぱをひろい、それを薪にして飯をたきながら本を読み、時にはお弁当も持って行けず、昼食の時は図書室や運動場ですごしました。それでも養母が働いてくれたから高校に行けたのです。だから、つくづく思いました。女一人生きる道を考えなければいけない。それには先生になることだ、と決めたのです。 

ところが、体の調子が悪かった父でしたが、用事で佐世保に出かけた折、きっと軍艦「大和」だったんでしょう、船のあまりの大きさに歩巾で長さを計ったらしく、それを憲兵に見とがめられて、スパイ容疑で取り調べられました。その上父が本が好きで、マルクスの本など沢山あり、益々怪しまれて釈放されず、泣きの涙でせっかく進んだ専門学校もやめました。先生がだめならどうしようと思った時、子供の頃あねさん人形が好きで、お人形屋さんの前でぽかーっと一日過ごした事を思い出したのです。 

吉井勇の歌に「人形師与一の髪のいや白く 艶性の主は 今は老いさぶ」とあります。名人の名をほしいままにした小島与一師は、昭和四十五年八十三才で没するまで、生涯華やかな話題に満ちていました。その小島先生の弟子、永野長ニ郎が福岡住吉神社の前の宿屋に下宿して、博多人形を作っていたのです。 首をかしげ、腰を前に出し、Sの字型のポーズでなんとなく匂うような情趣があり、ほつれ毛をかき上げて、恋に悩んでいるような姿や襟足の白さに、なんとも言いあらわしようもない色香を感じる人形ですその隣の部屋に泊り、私はいよいよ人形にひかれて、縁あって長ニ郎と結ばれました。
本当は、趣味と実益をかねる人形にほれたのかもしれません。

でも、道はけわしく、夫は「女が人形したら、びったりになる。」と言って教えようとはしませんでした。私は必死で頑張りました。人形作りの技術は、教え、教えられるものではなく、学び取るもの、露骨に表現すれば、師から盗み取るものとまで言われているのです。
たとえば、粘土の練りぐあい一つでも「ばばさんはダメばい、やっぱり若かべっぴんがよか、一度耳ばさわってんない。」"さわってみろ"と言うことです。その言葉で耳たぶぐらいの柔らかさがいいと知りました。

夫が眠ってから電燈を下げその上から布をかけ、光がもれぬようにして原型をつくるのです。「いつまでおきとるとか、電気代があがろうが」と叱られるからです。
今の弟子さんは幸せです。勉強時間もたっぷりあるし、研究生講座があり、モデルさんを使って「ラフ」も彫り、一流の先生から絵も舞いも能も教えてもらえます。
私は原型を彫るヘラ一つでも、山に出かけツケの木をさがし廻ったり、古いわら屋根に使ってあるすっ竹で、自分で使いやすいようにヘラを作ったものです。今は、お店に彫刻用として色々のヘラや道具があるのです。
 
人形の季節
   The season for dolls
 
おいたちと人形
 
卒塔婆小町と大臣賞
 
人形と平和
 
伎芸天とサリー
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